LOGIN第七話 禿
「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。
「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」
「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。
「小夜~♪ お友達?」
「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。
内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。
「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」
こうして三人の禿は仲良くなっていった。
時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。
「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切り出す。
「あぁ、秀子さんね……」 この話しになった途端、静は表情が暗くなった。
「いい人だったの?」
「うん。 私にとってお母さんみたいな人だったの……」
「そっか……」
「お母さんか……どんななんだろう」 梅乃が小さい声で言った。
「お母さんは?」 静が、静かに聞くと
「知らない……私と小夜は、赤ちゃんの時に大門の前に捨てられていたんだって」 梅乃も声が小さくなっていた。
「そっか……私は、家が貧しくて売りに出された」 静も、なかなかの人生であった。
「みんなで良くなるように願掛けしようか?」 小夜の提案で、桜が散ってしまった木の下で手を繋いだ。
“ニギ ニギ ” 「みんな良くな~れ♪」
他の見世であるが、同じ禿同士で仲良くなった三人であった。
「梅乃~ 小夜~」 玉芳の声がした。
「はいっ」
「昼見世の時間、茶屋に行くよ! 用意して」
玉芳が昼間から営業が入ったようで、付き添いを言われた。
そして茶屋に入り、玉芳は茶屋の主人と話しをしている。
梅乃と小夜は、少し離れた場所で待機をしていた。
「梅乃ちゃん、小夜ちゃん……」 二人を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと
「静ちゃん」
「えへへ。 今日はどうしたの?」 静の表情は明るかった。
「今日は、花魁と一緒に来てるの」
「私も♪」
どこの禿も、やることは一緒である。
用事が住んだらしく、玉芳が振り向き
「梅乃、小夜 行くよ」 と、言った時である
近江屋の妓女、小春が茶屋に来ていた。
「小春じゃない?」 玉芳が、声を掛けた。
「あぁ……玉芳 花魁」 小春は頭を下げた。
小春は玉芳より年上で、年季が明けてやり手婆になるらしい。
「久しぶりね。 今度は、やり手になるんだって?」
「えぇ……」 小春の表情は冴えなかった。
「どうしたの?」 玉芳は、小春の反応を見逃さなかった。
「私、あまり売上も出せなくて、大見世から中見世に落とした責任もあるからさ……」
「こんな時代だしね……お武家さんも、大政奉還の後じゃ職なしだもん」
玉芳も苦しい時ではあったが、明るくしていないと妓女の鏡にはなれないと覚悟をしていた。
「それで禿の教育を?」 玉芳は、チラッと静を見た。
静は頭を下げ、玉芳に挨拶をした。
「静です。 よろしくお願いいたします」
「いい娘(こ)だこと。 コッチのは……」 玉芳が言いかけた時、
「梅乃です」 「小夜です」 しっかり自分で名乗っていた。
「よろしくね」 小春もニコニコしていた。
「静ちゃん、またね」 梅乃と小夜は笑顔で去っていった。
「知り合いだったの?」 玉芳は、驚いたように聞いた。
「はい。 少し前のお歯黒ドブの時で知り合いました」 小夜が笑顔で答えた。
「そう。 友達が出来て良かったじゃない」 玉芳は、笑顔だった。
そして、ある日の夜。
「通ります。 三原屋の玉芳花魁が通ります」
梅乃は大きな声を出し、玉芳の引手茶屋までの花魁道中をしていた。
「通ります……んっ?」 梅乃の声が止まった。
「どうした? 梅乃」 玉芳が言葉に詰まった梅乃を気にした。
「あれ……」 梅乃が仲の町で座り込んでいる少女を指さした。
「あれは……」
「静ちゃんだ」 小夜が声を張り上げた。
「小夜、行ってあげな。 梅乃はこのまま行くよ」 玉芳は、即座に指揮をした。
「三原屋の玉芳花魁が通ります」 梅乃はチラッと静を見ながら声を出し続けていた。
「静ちゃん……」 小夜が声を掛ける。
「小夜ちゃん……私、どうしたら」 静は涙を流していた。
「とりあえず、帰ろう……吉原に足を入れたら、どうしようもないから」
小夜の言葉は、諦めと言うしかないが心を癒す口調であった。
そして翌日の昼前になり、禿は妓女の昼見世の世話で大忙しであった。
「小夜、ボッーとしない!」 妓女は売上が悪くなると、禿への態度も悪くなっていた。
だが、玉芳が一緒にいると妓女は禿に優しくする。
これが花魁の威光と言うものであった。
「この前の、静だっけか……どうだった?」 玉芳は、小夜に聞いていた。
「あれから会っていないんです……仲の町にも居ないし……」
せっかく出来た友達に会えず、小夜も気落ちしていた。
(少し、探ってみるか……)
午後、普段なら花魁は営業が無い時は仮眠をしている時間であったが、玉芳は変装していた。
男モノの服を着ていた。
(これなら大丈夫!) 玉芳は意気込んでいたが、
「花魁……変装は解りますが、ほっかぶりはチョット……」 梅乃は、つい口にしてしまった。
「うん……なんか、泥棒にしか見えないです……」
小夜までもが辛辣な評価であった。
「わかったよ! 普通にして行くよ」 玉芳は、普通の女性の服に着替え、化粧だけして近江屋に向かった。
物陰から近江屋を覗いていた三人。
「花魁……やっぱり泥棒みたいです」 小夜は、ため息交じりの声で呟いていた。
すると “ガシャン! ” と、物音がした。
「静、何やってんだい!」 怒鳴り声が聞こえてきたのだ。
「あちゃ~ やってるよ……」 玉芳は、額に手を当てた。
「―静ちゃん!」 梅乃は近江屋へ走った。
「おい、ちょっと―」 走る梅乃を引き止めようと、玉芳と小夜も走った。
思いのほか、梅乃の足は速かった。
「静ちゃん、大丈夫?」 梅乃が静の肩を抱き、庇ってしまった。
「―いかん……」 玉芳は、焦った。
他の見世の者の口出しはご法度であり、妓女でもない禿風情なら なおさらである。
「ちょっと……静ちゃん、泣いているじゃないですか」 梅乃は大声で叫んだ。
(やっちまった……) 玉芳が苦悶の表情になった。
「お前、どこの禿だ? 他所の見世に口を出すなんて、どういう教育を受けているんだい?」 そう言ったのは、近江屋のトップ妓女の光華(こうか)である。
光華は大見世であった近江屋の花魁であったが、中見世になった妓女は花魁とは呼べず、ただのトップ妓女であった。
そんな光華が、梅乃を睨み付けていた。
(アイツ、顔がキツイから迫力あるんだよな……)
玉芳は、そう思いながらも自身の禿の梅乃を見捨てる訳にもいかなかった。
「もし……ウチの禿が、すみません……」 玉芳は、低姿勢で切り出した。
「なんだい、玉芳花魁……禿の教育が出来ていないんじゃないかい? 他所の店に口を出すなんてさ」
光華が、玉芳を睨んで話した。
「ごもっとも……なんだけどさ、見世の外まで聞こえるってのは……どうなのさ……?」 玉芳がたまらず応戦してしまった。
「アンタの知ったことじゃないね……」 光華が舌打ちをすると
“プチン……”
ここで玉芳の何かが弾け飛んだ。
(うげっ……マズい) 梅乃は、静を庇いながらも玉芳の態度に気づく。
梅乃が小夜に合図をして、静の傍に小夜が付いた。
そして、梅乃が玉芳と光華の間に入った。
「まぁまぁ……姐さんたちも落ち着いて……」 梅乃が仲裁に入るも、
「元は、お前が飛び込んだからだろ?」 玉芳の目が梅乃に向いた。
「ひえぇぇ……ごめんなさい……」 梅乃は涙ぐみ、玉芳に手を合わせていた。
「あんまり禿に当たるな! この先が無いぞ」 玉芳が言うと、クルリと光華に背を向けた。
そこに静が、玉芳に駆け寄り頭を下げた。
「ありがとうございました……でも、私がいけないので……」 静の言葉に力が無かった。
「私こそ、余計だったね……」 玉芳は静の頭を撫で、三原屋に戻っていった。
梅乃と小夜も、光華に頭を下げて引き返していった。
「あんにゃろ~ 生意気な態度しやがって」
当然ながら、妓楼に戻ってからの玉芳は機嫌が悪かった。
そして数日後
「お前、近江屋に何をしたー?」 采が玉芳に怒っていた。
「知らない……」 玉芳は、プイッと横を向いていた。
「知らない……じゃないだろ! 近江屋から苦情が来てるんだよ! お前が、近江屋の妓女に喧嘩を売ったってな」
「お婆……それは喧嘩を売ったんじゃありません。 禿をイジメているのを見かけて注意しただけです」
「お前……だからって、他所の見世にはダメなのは知っているだろ?」
「わかったわよ。 謝りに行けばいいんでしょ?」 玉芳は言うが、
(行かない方が良い……行ったら、また騒動になる……)
反省していない玉芳を見て、梅乃は確信していた。
午後、玉芳は近江屋で謝罪をしていた。
向かい合う光華は、ふてくされていた。
「本当にすみません……」 謝罪する玉芳の顔を見た梅乃は思った……
(―うわっ、ヤル気満々な顔……いやな予感しかしない……)
「本当にすみません……ただ、嫌な空気が流れてましてな……そして、私がお節介をしてしまいまして……」
「本当にそうだわ。 何様のつもりかしら……」 光華が言った瞬間
「大見世の三原屋、花魁の玉芳にありんすっ! 何か?」
玉芳は、力強い目で光華を睨んだ。
その後、光華は何も言えずに騒動が終わった。
「花魁……ありがとうございました」 梅乃と小夜は、玉芳に頭を下げた。
「いいんだよ。 禿は、私の娘と一緒なんだから」 そう言って、玉芳は菩薩のような顔をしていた。
しかし、そんな玉芳でも立派な花魁である。
「ほら、そこ、ちゃんと綺麗に!」 指導もしっかりしていた。
「はいっ!」 梅乃と小夜は、今日も雑用を全力でこなしていくのであった。
第五十九話 椿《つばき》と山茶花《さざんか》 明治七年 正月。 「年明けですね。 おめでとうございます」 妓女たちは大部屋で新年の挨拶をしている。 すると文衛門が大部屋にやってきて、 「今日は正月だ。 朝食は雑煮だぞ」 そう言うと片山が大部屋に雑煮を運んでくる。 「良い匂いだし、湯気が出てる~♪」 この時代に電子レンジはない。 なかなか温かいものを食べられることは少なかった。 「まだまだ餅はあるからな。 どんどん食べなさい」 妓女たちが喜んで食べていると、匂いにつられた梅乃たちが大部屋にやってくる。 「良い匂い~」 鼻をヒクヒクさせた梅乃の目が輝く。 「梅乃は餅、何個食べる?」 片山が聞くと 「三つ♪」「私も~」 小夜も三本の指を立てている。 「わ 私も三つ……」 古峰も遠慮せずに頼んでいた。 「美味しいね~♪」 年に一回の雑煮に舌鼓を打つ妓女たちであった。 この日、三原屋の妓女の多くは口の下を赤くしている者が多い。 「まだヒリヒリする……」 餅を伸ばして食べていたことから、伸びた餅が顎に付いて火傷のような痕が残ってしまった。 (がっつくから……) すました顔をしている勝来の顎も赤くなっていた。 梅乃たちは昼見世までの時間、掃除を済ませて仲の町を歩いている。 そこには千も一緒だった。 「千さん、支度とかはいいの?」 小夜が聞くと、 「私は張り部屋には入れませんので……」 千は新造であり、まだ遊女のようには扱われない。 それに入ったとしても妓女数名からは良く思われていないので、入ったら険悪なムードに耐えきれないのも分かっていた。 「それに、三人と仲良くしていた方が私としても嬉しいので……」 千が言葉をこぼすと、梅乃たちは顔を下に向ける。 「私、何か変な事をいいました?」 千がオロオロすると、 「なんか、嬉しくて……」 小夜が小さな涙をこぼす。 「う 梅乃ちゃんと小夜ちゃんは大変な時期を送っていました。 わ 私もだけど……」 古峰の言葉は千にとっても重い言葉だった。 気遣いの子が苦労話をすることで、余計に納得してしまうからだ。 「でもね。 私たちは三原屋だから良かったんだ」 小夜がニコッとする。 「う うん。 私も」 古峰も微笑むと、千はホッとした表情になる。 「梅乃~ 小夜~」 仲の町で呼ぶ声が聞こ
第五十八話 魅せられてそれから梅乃たちは元気がなかった。玲の存在を知ってしまった梅乃。 それに気づいた古峰。 それこそ話はしなかったが、このことは心に秘めたままだった。しかし、小夜は知らなかった。(小夜ちゃんには言えないな……)気遣いの古峰は、小夜には話すまいと思っていた。 姉として、梅乃と小夜に心配を掛けたくなかったのだ。それから古峰は過去を思い出していく。(あれが玲さんだとしたら、似ている人……まさか―っ)数日後、古峰が一人で出ていこうとすると「古峰、どこに行くの?」 小夜が話しかけてくる。「い いえ……少し散歩をしようと思って」「そう……なら一緒に行こうよ」 小夜も支度を始める。 (仕方ない、今日は中止だ……) そう思い、仲の町を歩くと 「あれ? 定彦さんだ…… 定彦さ~ん」 小夜が大声で叫ぶと “ドキッ―” 古峰の様子がおかしくなる。 「こんにちは。 定彦さんはお出かけですか? 今度、色気を教えてくださいね」 小夜は化粧帯を貰ってから色んな人に自信を持って話しかけるようになっていた。「あぁ、采さんが良いと言ったらね」 定彦がニコッとして答えると、「古峰も習おうよ」 小夜が誘う。「は はい
第五十七話 木枯らし明治六年 秋。 夏が過ぎたと思ったら急激に寒さがやってくる。「これじゃ秋じゃなく、冬になったみたい……」 こう言葉を漏らすのが勝来である。「日にちじゃなく、気温で火鉢を用意してもらいたいわね……」勝来の部屋で菖蒲がボヤいていると、「姐さん、最近は身体を動かさなくなったから寒さを感じるのが早くなったんじゃないですか?」梅乃が掃除をしながら二人に話しかける。菖蒲や勝来も三原屋で禿をしていた。 少し寒くなったからといっても、朝から掃除や手伝いなどで朝から動いて汗を流していたのだが「そうね……確かに動かなくなったわね」菖蒲は頬に手を当てる。「せっかくだから動かしてみるか……」 勝来が薄い着物に着替えると、「梅乃、雑巾貸しな!」 手を出す。「えっ? 本気ですか? 勝来姐さん」梅乃が雑巾を渡すと、勝来は窓枠から拭きだした。「勝来がやるんだから、私もやらないとね~」 菖蒲も自室に戻り、着替え始める。「……」 梅乃は開いた口のまま勝来を見ている。そこに小夜がやってきて、「梅乃、まだ二階の掃除 終わらない? ……って。 えっ?」小夜が目を丸くする。そこには二階の雑巾掛けをしている菖蒲がいた。「ちょ ちょっと姐さん―」 慌てて小夜が止めに入る。「なんだい? 騒々しいね」隣の部屋から花緒が顔を出す。
第五十六話 近衛師団明治天皇が即位してから六年、段々と日本全体が変わってきた。両から円へ貨幣も変わり、大きな転換期とも言える。「しかし、大名がないと売り上げが下がったね~ どうしたものか……」文衛門が頭を悩ませている。少し前に玉芳が来たことで大いに盛り上がった三原屋だが、それ以降はパッとしなかった。「それだけ玉芳が偉大だったということだな……」 文衛門の言葉が妓女にプレッシャーを与えていた。 しかし、文衛門には そんなつもりも無かったのだが“ずぅぅぅん……” 大部屋の雰囲気が暗くなる。梅乃が仲の町を散歩していると、「梅乃ちゃ~ん」 と、声がする。 梅乃が振り返ると「葉蝉花魁……」「この前はありがとう。 一生の宝物だよ~」 葉蝉は大喜びだった。「よかったです。 本当に偶然でしたけど」「話せたこと、簪を貰ったこと……全部、梅乃ちゃんのおかげ」そう言って葉蝉は帰っていく。「良かった…… みんな、よくな~れ!」 梅乃は満足げな顔をする。「すまん、嬢ちゃん……君は禿という者かい?」 梅乃に話しかけてきた男は軍服を着ており、子供にも優しい口調で話していた。「はい。 私は三原屋の梅乃といいますが……」「そうか。 よかったら見世に案内してくれないか?」 軍服を着た男は見世を探していたようだ。「わかりました。 こちらです」 梅乃は三原屋へ案内する。「お婆……兵隊さんが来たよ」 梅乃が采に話すと、「兵隊? なんだろうね」 采が玄関まで向かう。「ここの者ですが……」 采が男性に言うと、「私は近衛師団の使いできました大木と申します。 短めなのですが、宴席を設けていただきたい」 男性の言葉に采の目が輝く。「もちろんでございます」 采は予約を確認する。「では、その手はずで……」 男性が去っていくと、「お前、よくやったー」 采が梅乃の頭を撫でる。「よかった♪」 梅乃もご機嫌になった。三日後、予約の近衛師団が入ってくる。 この時、夜伽の話は厳禁である。あくまでも『貸し座敷』の名目だからだ。相手は政府の者、ボロを出す訳にはいかない。この日、多くの妓女が酒宴に参加しているが「ちょっと妓女が足りないね…… どこかの見世で暇をしている妓女でも借りるか……」 采が言うと、「お婆、聞いてきます」 梅乃と古峰が颯爽と出て行く。それから梅
第五十五話 意外性 明治六年 秋千は新造として歩み出す。 この教育担当は勝来になる。「どうして私なのよ……」 勝来は不満そうだ。「みんな当番のように回ってくるのよ」 菖蒲が説明すると「姐さん……」 勝来は肩を落とす。「まだ良い方よ。 顔の識別が出来ないだけでしょ? 私なんか野菊さんだったんだから……」菖蒲は過去に千堂屋の野菊を教育していた。 馴染みの店であり、菖蒲にとって窮屈な毎日だった。「確かに、あれはキツいですよね……」「そうよ。 本当に傷物にでもなっていたら大変だったわよ」「姐さん、失礼しんす」 勝来の部屋に梅乃がやってくる。「梅乃、どうやって千が顔の識別が出来ないって分かったの?」 勝来が聞くと、「掃除していて班長の小夜じゃなく、私や古峰に報告をしていました。 禿服って同じだから見分けが付かなかったんだろうな~って」「なるほど……」「それで、姐さんたちは千さんの何を困っているのです?」 梅乃がキョトンとすると、「そういえば、何を困っているんだっけ?」 勝来がポカンとすると、菖蒲と梅乃はガクンと滑る。「つまり、勝来姐さんは初めての新造に戸惑っているんですね?」梅乃の鋭い言葉に、勝来は言い返せなくなっていた。「私たちみたいに接すれ
第五十四話 のっぺらぼう明治六年 『芸《げい》娼妓《しょうぎ》解放《かいほう》令《れい》』が発令されてから吉原が変わっていく。それは『遊女屋』と言われていたものが『貸し座敷』となったことだ。女衒などから若い娘を買い、見世で育てて花魁にしていったのが政府の方針で禁止となっている。 このやり方は“奴隷契約”となってしまうからだ。 過去にキリシタンとして日本に来ていたポルトガル人が奴隷として日本人を海外に連れて行き、これを知った豊臣秀吉が怒り狂って伴天連《バテレン》廃止をしたほどだ。 日本は奴隷廃止制度で吉原や花街に厳しい取り締まりをする。 これにより吉原全体の妓女不足、女衒などの廃業が慢性的となる。 そうなると、地方などの貧しい家庭にも打撃が来るようになる。 貧しい家庭は娘を花街に売ることで金が入ってくる。 そんな希望さえも失っていくが、人身売買は密かに続いていたりもする。「千《せん》……すまない」 「父様、母様……私、どこに行くの?」「お前が美味しいご飯が食べられる場所だよ……」こういう会話から少女は吉原に連れて行かれる。 これも親孝行だったのだ。 「今日から妓女として入る千だ。 お前たちより年上だが、同じ禿として働く」 采が言うと、そこには物静かな女の子が立っている。 「千です。 よろしくお願いいたします……」